正しい継続

「正しい」継続は力なり、
「正しい」継続しか力にならない。

(正しく継続すれば、正しい結果が出る。
間違えて継続すれば、間違えた結果が出る。
間違えたら即改良して継続する。)

押忍

正しい継続 正しい継続 正しい継続

ぶどう狩り

道場夏休み最終日は家族で山梨県勝沼へぶどう狩り!^_^

夏休み期間中、ゆっくりと充電させていただき、誠にありがとうございました。

明日から気合い入れてがんばります!

押忍^_^

ぶどう狩り ぶどう狩り ぶどう狩り ぶどう狩り ぶどう狩り ぶどう狩り ぶどう狩り ぶどう狩り

どう生きるか、自分の人生?

普通の人と同じことをやっていたら普通の人で終わる。
(それ以下しかやらなければ、それ以下の人で終わる。)
その時は苦しく辛く、
楽してる他人(友達など)が羨ましく見え、
もう二度とチャレンジなんてしたくないと思うようなことも、
笑顔でがんばってその一歩を踏み出してしまえば、、、
普通の人が体験し得ない違った人生、世界を経験することができる。
「どう生きるか、自分の人生?」
まだまだ顔晴(がんば)ります。(^^)
押忍                               石黒康之
どう生きるか、自分の人生?

淡々と生きる

いま、
私が居る場所は浜松市

浜松市は静岡県にあり、静岡県は日本国にある。

日本国は地球にあり、地球は宇宙にある。

ということは、、、

いま私は宇宙に居る。

当たり前の事ですが、
宇宙にぽっかりと浮かんでいる地球に居る。

私は宇宙の一部であり地球の一部

ひょっとしたら、
全ては決められたシナリオ通りなのかもしれない、、、

不平、不満、愚痴、泣き言、悪口を言うことなく、
全てを無理なく受け入れ淡々と生きていこう。

押忍                        石黒康之

淡々と生きる

初心忘れるべからず

以下、致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
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約600年前の室町時代に能を大成したといわれる世阿弥。

『風姿花伝』や『花鏡』などの著書を残し、
その言葉や教えはいまなお多くの人の心の糧になっています。

世阿弥の残した言葉や教えを、
明治大学学長で長年能楽のプロデューサーとして
活躍してきた土屋恵一郎さんに語っていただきました。

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(土屋)
「初心忘るべからず」は、
一般には「はじめの志を忘れてはならない」
「初志を貫徹する」といった意味で理解されていますが、
世阿弥の言う「初心」は「初志」に限られていません。

若い時の初心、人生の時々の初心、老いて後の初心……
世阿弥は人生の中に幾つもの初心があると言っています。

例えば、若い時の初心とは24~25歳の頃を指していますが、
この頃は若くて心身ともに充実し、
周囲に素晴らしいと認められる時期でもあります。

しかし世阿弥は認められていることが人生の壁であり、
初心なのだと言うのです。
つまり、若い頃の一時的な「時分の花」をずっと続く「誠の花」だと思い、
努力しない人間は失敗する、駄目になるのだと。

そして、中年の初心を経て直面する老後の初心とは、
いまよく言われる「何歳になっても若い時の気持ちに戻って、
いつまでも元気に頑張ろう」という意味ではありません。

老いによる様々な限界にぶつかった時に、
それに応じた自分の生き方、老いの経験をどう活かし、
人生の花を咲かせていくかを考えよと言っているのです。
もちろん現在とは寿命が異なりますが、
世阿弥は40歳を過ぎたら第一線から引いて、
後継者・後進を助けなさいとも言っています。

その例として、世阿弥は……

※本記事は『致知』2019年7月号から

致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
押忍

どこを見るのか?

きれいな公園にだってゴミ箱はあります。

でも、きれいな公園に行ったら、その美しさを見ればいいのです。

ゴミ箱を見る必要はありません。

嫌なことばかりに焦点を当てていたら、その人生は嫌な人生になってしまいます。

嫌なことに焦点を当てるのではなく、楽しいことに焦点を当てることです。

斎藤一人さん
シェアさせて頂きました。

押忍

どこを見るのか?

失敗から学ぶ

たとえば、企業が倒産するときには必ず資金がショートします。

このキャッシュフローが足りなくなるという失敗の背景にありがちなのが、1つのジャンルで成功してビジネスを拡大しようと異なる分野に投資をするという行動です。

自分の専門外のことを調子に乗って始めるパターンで、数えきれないほどの企業が倒産という不運に見舞われてきました。

この失敗パターンははっきりと認識しておくと、同じ轍(てつ)を踏むことがありません。

つまり、不安を遠ざけることができるのです。

たとえば、「ソニーはなぜ、iPhoneを作れなかったのか」という記事があります。

そこに書かれているのは、「ケータイにカメラをつけるとデジカメが売れなくなる」と主張するデジカメ部門を説得することができず、開発が頓挫。

組織内の対立から、革新的な商品を開発できなくなっていくソニーの失敗がつづられています。

またポラロイド社に関する失敗の逸話もメモしてあります。

「写真を撮ったら、すぐに見られる方法がないか?」と考え、試行錯誤の末にポラロイドカメラの開発に成功。

一世を風靡(ふうび)したイノベーティブな創業者が会社から去った後、ポラロイド社は硬直していきます。

そして、デジタルカメラが市場に登場し始めた頃、「撮ったらすぐに見られる」という創業の理念と同じ商品にも関わらず、「自社のポラロイドカメラが売れなくなるから」と参入を断念。

時代に逆行した施策を打ち、市場を失っていきます。

こうした事例を読み返すことで、私は自分が守りに入ろうとしたとき、「それは無意味な自己保身ではないか?」と問い直すのです。

メンタリストDaiGo
『運は操れる』マキノ出版

「人の心に灯をともす」様メルマガより抜粋シェアさせて頂きました。

いつも本当にありがとうございます。

押忍

失敗から学ぶ

喧嘩に強くなりたい

「たてまえではいろいろあるよね、
心身を強くするために空手を始めたと。

それはたてまえであって、
本当はケンカに強くなりたいんだよ。

ケンカに強くなリたいやつが、
早いし強い。」

大山倍達総裁

内弟子時、総裁のこのお言葉には心底痺れました!

この総裁のお言葉を文面通りに捉えてしまえば、
今現在の世の中では理解され難く賛否両論、
ある意味、批判の対象にされ兼ねません。

しかしながら、
総裁の残された他のお言葉の数々をよーく理解しながら読んでみれば、
文面こそ過激ですが実は物凄く人間の本質論に迫る理にかなったお言葉であることに気付いて参ります。

私個人的な解釈ではありますが、
極真空手、大山倍達総裁の空手とは、

全ての面で理屈でなく実践(行動)がものを言う空手であると理解しております。

当時の道場稽古にしましても先ず稽古量が半端ありませんでした。

兎に角、一つ一つの技の動作を繰り返す量が半端なく凄かったのです。

(特に内弟子稽古では一動作の移動稽古、
一つの型稽古、一つの技の三本組手などの対人稽古を各々延々と一時間以上繰り返すのは当たり前でした。)

実践なくんば、証明されず、
証明なくんば、信用されず、
信用なくんば、尊敬されない!

大山倍達総裁

上記の、
「実践」を「行動」に置き換えてみれば、
もうこの地球上の法則、
原理原則であることには間違いない訳であります。

何事にも於いても率先垂範、先ずはやってみる、行動してみる空手、
それが極真空手であると自分は個人的に考えております。

「君たち!
出来ないんじゃないんです、やらないんです!
やれば出来るよ!」

50歳の声を聞く一歩手前、
今更ながら総裁のお声が頭の中を駆け巡っております。

押忍                            石黒康之

喧嘩に強くなりたい