基本修得に命を懸ける

基本修得に命を懸ける

基本修得に命を懸ける

本日、年頭にあたり、極真準備運動(鍛錬法)と極真基本稽古を総裁稽古そのままにジックリと時間を掛けて練り込んでみました。

ある意味、この準備運動(鍛錬法)と基本稽古が極真空手の身体操作の極意であると最近実感しております。

仮に、基本が正確に修得錬り込めて「1」であると仮定すると「1」が出来上がった人間だけが「無限」の広がりをみせる事が出来ます。

基本を修得していない、錬り込めていない「0」の段階では、「0」に何を掛け(×)ても「0」のままの様に、結局、極真空手の表面だけを見様見真似に稽古しただけで終わってしまい、極真空手の何たるかも理解体得しないまま終わってしまっているのだと思います。

大山総裁が命を懸けて創った基本(極真精神)の修得(修徳)に命を懸けて参ります。

押忍

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