破壊と創造

2020年の幕開けと同時に、
アメリカとイラン問題、ゴーン氏の問題などが噴出しております。

私はただの一町空手道場の先生
難しい事は分かりませんが、

ニュースなどを見ておりますと、
やはり人類は行き着くところまで行かないと次のステージにはいけないか、、と真面目に考えてしまいます。

破壊と創造

やはり、
一度、破壊しないと創造はないのでしょうか、、、

いや、そんな事は絶対にないと信じたいです。

綺麗事かもしれませんが、
現在の人間はそんなに馬鹿ではないと信じたいです。

どちらにしましても2020年

何かが大きく変っていく節目の年となるのでしょうね、、、

押忍      石黒康之

破壊と創造

年頭所感

2020年年頭にあたり、
また50歳になり人生の折り返し地点を優に過ぎた年にあたり、
遅ればせながら私なりの年頭所感ならびに、
残り後半生の目標を大変僭越ではありますが記させて頂きたいと思います。

☆50歳代は、、、
「実績作り」
(空手家・指導者・経営者としての実績作り)

☆60歳代は、、
「後継者育成・人財育成」

☆70歳代以降は、、
「世のため、人のため、日本国のために生き、
一町空手道場の先生(一極真支部長)としてこの生を終える」

背水の陣

発表してしまった以上、
口だけにならずに有言実行、率先垂範、行動第一で実践して参ります。

死ぬ寸前に、
「やりたい事はかなりやったなぁ〜」と、
しっかりと帳尻を合わせ、
ニンマリと笑って死んでいけるような今世を送り、
より良い人生にしていきたいと思います。

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

いつもありがとうございます。

押忍      石黒康之

年頭所感

仕事(稽古)始め

本日、仕事(稽古)始めの一日を終えてみて、、、

「やっぱり仕事(稽古)はいいなぁー

娯楽(遊び・快楽)は飽きるけど仕事(稽古)は飽きない。
(ただし休息は大切)

何事も程々に、
何事も真ん中に、
何事も中庸に、
何事にもバランスよく偏らずに!

過ぎたるは猶及ばざるが如し!(孔子) 」

押忍^ ^

仕事(稽古)始め

水炊きの思い出

以下、ちょうど一年前のFacebook上での投稿です!^ ^
〜〜〜〜〜〜〜
本日、冬休み最終日

明日からの稽古指導に備え、
大山倍達総裁直伝 極真 若獅子寮 伝統の「水炊き」を作ってみました。(^^)

毎週金曜日の総裁との夕食会
その夕食会の食事当番は決して大袈裟ではなく命懸けでした!

当時は食事当番(支度から料理、片付けまでを完璧にする)の本当の意味には気付きませんでしたが、

49歳となった今、
総裁がなぜ寮生に食事を当番制にし、掃除整理整頓、洗濯、上下関係などを徹底させ、
敢えて理不尽な事ばかりを言い付け修行させたのかがよく分かって参りました!

大切な事は全て実体験で若獅子寮で学ばせていただきました。

しかし、、、

あんな地獄のような経験、体験、、、

もうしたくないなーー 笑

押忍(^^)                             石黒康之

水炊きの思い出 水炊きの思い出 水炊きの思い出 水炊きの思い出 水炊きの思い出 水炊きの思い出 水炊きの思い出 水炊きの思い出

子供の独立

 

子供に独立をうながすには、どうすればいいか。開成中学校・高等学校の柳沢幸雄校長は「18歳になったら、家から出したほうがいい。住まいは『風呂なし、トイレ共同』で十分。そのほうが独立が早くなる」という――。

※本稿は、柳沢幸雄『男の子の「自己肯定感」を高める育て方』(実務教育出版)の一部を再編集したものです。

「安心して帰れる場所」がある子は頑張れる

「安心して帰れる場所があるか」、これは子どもの自己肯定感を育てる上で、非常に大切なことです。単に「安心して過ごせる家」という物理的な話だけでなく、精神的な意味も含んでいます。

落ち着ける家庭という居場所は、子どものチャレンジ精神を育んでくれます。何があっても受け止めてくれる、帰る場所があるとわかっていれば、子どもは思い切って外に冒険に出ることができるのです。

勉強にしろ、運動にしろ、芸術にしろ、外の世界は厳しく、いつも勝てるとは限りません。むしろ負けることのほうが多いでしょう。そんなとき、家に帰ってホッとできるかどうか、次の冒険への英気を養うことができるかどうかは、非常に大切なことです。

頑張り続けられる子というのは、そのような帰る場所を持っているもの。親の役割は冒険に一緒に付き添うことではなく、負けて帰って来たわが子を温かく迎え入れることなのです。

中学受験で第一志望校に不合格になると、子ども以上にがっかりしたり、泣いたりする親御さんがいますが、それは役回りを間違えているとしか言えません。なぜなら、一番つらいのは実際にチャレンジした本人です。親はプレーヤーではなくマネージャーなのですから、必ず一歩引いてお子さんを支えてください。

そのために親は、子どもが負けて帰ってきたときに、どうやって受け入れるかを常に考えておきましょう。それはお子さんにかける言葉かもしれませんし、好きな夕飯を用意することかもしれません。一緒にテレビを見たり、映画に行ったりすることかもしれません。

子どもが安心して帰れる場所を用意してあげられるかどうか。それはかなり重要な親の役割です。

18歳になったら1人暮らしさせる

安心して帰れる場所を用意した後は、そこから追い出さなければなりません。居心地のいい家がいつまでもあると、その先何年、何十年も出ていかないということになりかねないからです。

私は常々、「18歳で子どもは外に出しましょう」と言っています。つまり、高校卒業のタイミングです。進学するにせよ、働くにせよ、家から一度出すのがいいのです。なぜか。このことが、子どもの自己肯定感を大きく上げることにつながるからです。

今、みなさんがお子さんに与えている生活は、かつてないほど高水準のものです。人類史上最高と言ってもいいでしょう。そしてこれ以上、上げることもかなり難しい。しかし、1人暮らしをすれば、生活水準はガクッと下がります。そしてそれが上がったときに、自分の力を感じることができるようになります。

中国の若者は、なぜ生活への満足度が高いのか

日本の若者の保守化傾向は、この高い生活水準にも原因があると考えられます。下がる可能性のほうが高いから、新しいことへの挑戦を躊躇してしまう。それと同時に、今の生活水準は親がつくりあげたものであって、「自分でつくりあげたものではない」ということもわかっています。それゆえに、漠然とした不安を抱えているのです。

これは、日本と中国の若者を比較するとあきらかです。生活に対する満足度を比べると、高い生活水準で暮らしている日本の若者よりも、中国の若者のほうが高い。なぜなら、中国の若者は毎年生活水準が上がっていくことを実感しているからです。

ところが日本の若者の場合、「落ちるかもしれない」という不安があるために満足感が低い。生活水準とその満足度は、必ずしも一致するわけではありません。むしろ大切なのは、「自分の力で生活水準が上がっている」という実感です。階段を上っていることを感じられれば、何かをやろうという気持ちも生まれます。

良いマンションを借りてあげてはいけない

落ちる不安に怯えて暮らすくらいなら、いっそ落としてしまえばいい。それが18歳での1人暮らしです。厳密には、1人で暮らす必要はありません。下宿でも寮でも、親元から離れて暮らすということです。例えば東京や大阪などの大都市は家賃も高いですから、下宿や寮が現実的な選択肢となるかもしれません。立派なワンルームマンションを借りてあげる必要はありません。いえ、借りてあげてはいけないのです。

東京には、地方から、海外から、たくさんの学生が集まっています。みんながいいマンションに住んでいるわけではありません。あまりキレイとは言えない寮や下宿を選ぶ学生も、もちろん多くいます。都心にも、風呂なし、トイレ共同といった物件はたくさんありますし、そういった物件は「バストイレ付き物件」と比べると、たいてい3~5万円ほど安く借りることができます。

親元を離れた生活を、そういった環境からスタートさせれば「自分はどこでも生活できる」という自信をつけることもできます。それこそ働いて「バストイレ付き」の部屋に引っ越したとしたら、自分の成長を肌で感じることができるもの。「一国一城の主」といった気分を味わえるかもしれません。

給料日に食べたハマチは、舌の上でとろけた

もう1つ、自分の成長を感じられるのは、なんと言っても「食」です。子どもの頃、私の家は商売をしていて、夕飯での晩酌は父の楽しみの1つでした。母はそのために、日本酒に合いそうな刺身や焼き魚をいつも父の前に出していました。その魚が本当に美味しそうで、子どもの私が「あの魚を食べたい」と言うと、母は決まって「稼げるようになったら食べなさい」と言っていました(笑)。

私は大学生になって自分から家を出ました。塾や家庭教師で生活費を稼ぎ、バイト代が出た日だけそれを握りしめ、飲み屋へ行ってハマチの刺身を注文しました。ちょうどハマチの養殖が始まった頃で、脂がのったハマチは舌の上でとろけるようでした。心の底から「うめえなぁ」と思ったものです。「このためにバイトをしてるんだ」という感じでした。子どもの頃、横目で見ていた父親の肴を自分で食べられるようになったのですから、「自分で稼げるようになった」という実感がありました。

狭いアパートですし、給料日のハマチ以外は大したものは食べられませんでしたが、生活にはとても満足していました。「自分の力で美味しいものを食べる」というのは、男子には特に響きます。自分の成長が感じられるのは、こんなときなのです。

「結婚できるか」を悩むなら、家から出した方がいい

今のご家庭は、お父さんが家で食事をすることが少ないこともあり、子ども中心の食事になりがちです。それならなおさら、家から出さなくてはなりません。なぜなら母親が自分のためにつくってくれる食事が、一番いいに決まっているからです。

「息子が結婚できるかどうか」を悩んでいる親御さんは非常に多いのですが、家にいる息子のために尽くしている間は、難しいかもしれません。脱ぎ捨てたパンツも、いつの間にかキレイに洗濯されて“自然に”タンスに入っているし、トイレットペーパーも“自然に”補充されている(笑)。誰かがそれをしている、ということに思い至ることはありません。

しかし、1人暮らしでパンツを脱ぎ捨てて出かけたら、帰るとそのままの形で部屋にぽつんと残っている。イヤですよね。冬に家に帰れば、暗くて寒い。寒さが身にしみるのです。そんなとき、シチューをつくって待っていてくれる彼女がいたら、「このまま一緒にいようか」となります。結婚が早くなるのです。

かつては、15歳で独り立ちしていた

実家に住んでいたら、寒い冬でも暖かい家で母親が自分の好物を料理して待っていてくれます。「彼女のシチューより、やっぱりお袋のシチューだよ」となる。当たり前です。子どもの頃から食べているのですから。そうすると、母親は息子が50歳になっても、パンツを洗ってシチューをつくることになるのです。

童謡の「赤とんぼ」に歌われているように、15でねえやは嫁に行きましたし、最初の東京オリンピックの頃、集団就職列車に乗っていたのは中学を卒業した15歳の少年少女でした。数十年前までは、中学を卒業すると独り立ちをしていたのです。それが今は18歳。決して早いということはありません。

お子さんには、「18歳になったら家を出なきゃいけない」という話を、早めにしておきましょう。17歳になって「来年は家を出てね」といきなり言われるより、子どもにとってもずっといいはずです。心の準備のための時間と適度な緊張感を、子どもに持たせてあげてください。

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柳沢 幸雄(やなぎさわ・ゆきお)
開成中学校・高等学校校長
1947年生まれ。東京大学名誉教授。開成高等学校、東京大学工学部化学工学科卒業。71年、システムエンジニアとして日本ユニバック(現・日本ユニシス)に入社。74年退社後、東京大学大学院工学系研究科化学工学専攻修士・博士課程修了。ハーバード大学公衆衛生大学院准教授、併任教授(在任中ベストティーチャーに複数回選出)、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て2011年より現職。シックハウス症候群、化学物質過敏症研究の世界的第一人者。著書に『ほめ力』『なぜ、中高一貫校で子どもは伸びるのか』など多数。
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(開成中学校・高等学校校長 柳沢 幸雄)

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シェアさせていただきました。

押忍

雑草のように、、

ある日の会館朝礼にて、
(内弟子修行で一番辛い新寮生達に対して…、)

「君たちぃ、

今が一番、キツい時やぞ!

辛抱のしどころだぞ!

今は、雑草の様に踏みつけられ、相手にされず、

クチャめちゃにされているがな、

今にみておれ!

今にみておれ!

その気持ちを絶対に忘れるなよ!

今はまだ君たち、何も分からないよ!

でもな、

私が死んだら、その意味がよく分かるよ!

私が死んで何年か、いや、何十年かしたら、

必ず、
私の言っていること、意味がよく分かるよ!

それまでガマンや!

辛抱しなさい!

わかったぁーーー!    」

極真         大山倍達総裁

***
「このシリーズ、あくまでも、
わたし石黒が第十九期生として内弟子修行した三年間当時の、
拙い記憶、日記、メモをもとに書かせて頂いております。

強烈猛烈な師匠への憧れ、 尊敬、
何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、同じお話をされる総裁。

その強烈なインパクトで今もって総裁のお言葉が頭に耳にこびり付いております。

その辺りを御理解して読んで頂けると非常に幸いであります。

内弟子諸先輩後輩の皆様方、また優秀な極真師範、先生、先輩、後輩の皆様方がおられる中、
誠に僭越では御座いますがあえて書かさせて頂いております、御理解の程をどうか宜しくお願い申し上げます。

いつも本当にお世話になりありがとうございます。

今後とも御指導御鞭撻の程を宜しくお願い致します。」

押忍

雑草のように、、

大山総裁との思い出

ある冬の寒い日の総裁との思い出…、

***
第19期生当時の会館総本部内弟子達は会館または寮(若獅子寮)に在住時は必ず、
大山総裁が会館に来られる際と会館からお出掛けになられる際は玄関前にて内弟子総出で、
お見送りまたはお出迎えをしなければならない内弟子諸先輩方より受け継いだ伝統の暗黙のルールがありました。
***

そんな冬の寒い日、総裁お出迎えの時…、


総裁
西池袋会館総本部横の公園前に車で到着。
(当時、総裁の車は黒塗りの日産プレジデント)



総裁到着を見計らって、猛ダッシュで黒塗りプレジデントまで疾風の如く突っ走る。

(会館到着時刻は当時では非常に貴重な車内電話から運転手である同期、川南さん(現 極真 佐賀支部長)から随時連絡が会館ピンク電話に入る。)



到着と同時に左後部座席(総裁は常に左後部座席に座られておりました)のドアを総裁より、
素早く、しかも丁寧に、

「押忍!、失礼します!」

と、渾身の声で力で開ける。


総裁
「ハイ!    ご苦労さま、ありがと、ありがと!」



「押忍!」


総裁

「いゃぁ~、今日は寒いね~〜」

と声を掛けてくださりながら、私に握手をしてくださる。

(この総裁との握手。
総裁はどんな時でもお会いすると必ずこの握手をしてくださったのです。

一度でも総裁と握手をされた事がある方ならお分かりだと思いますが、

総裁と握手をしていただいただけで何か自分まで最強の男?になってしまった様な錯覚に陥ってしまうほどのパワー、力、エネルギーをいただいてしまうのでした。(^^;;

これが総裁の機嫌が良い時などは握手しながら、頰っぺたをペンペンと叩かれたり、首の後ろを撫でてくれたりしながら声を掛けてくださる訳であります。

もう本当にその暗示(握手、スキンシップ)だけで強くなった気になってしまうのです。

実際問題、
大山倍達総裁の為なら死ねる、命をかけられる!
と何の疑問もなく普通に思ってしまう魅力があったのでした。)



ただただ、

「押忍!」


総裁
私の手がアカギレ(炊事洗濯掃除の下座行のため)や稽古でボロボロに荒れている事にに気づき、

「いゃぁ~、きみぃ、手がボロボロじゃないのぉ~」

と私の手をさすってくださり、
今まで総裁が付けていた軍手をサッと素早くとり、
そのボロボロにアカギレた私の手に、素早くその軍手をはめてくれる。

(総裁は冬場は手袋ではなく何故だか軍手を愛用されておりました。

先ほど総裁の愛車はプレジデントと書きましたが、
実際は世界の極真の総裁という立場上しょうがない事であり、
驚くほどに私生活はいたって質素、まさに清貧そのものでありました。)



ただただ、

「押忍!       ありがとうございます!」

総裁にとって末席の末席、
そのまた末席の内弟子の私にはこの一言以外の言葉など出ようはずがありません。


総裁
「君たちのその手を田舎のお父さんお母さんが見たらビックリするよ!

大切な子供を、こんな辛い修行に出してくれた、
お父さん、お母さんに感謝しなくちゃダメよ!

だから、君たち、必ず強くなって親孝行するんだよ!

諦めちゃダメだよ、逃げちゃダメだよ!

まぁ、がんばりたまえ!

男の勝負や、 ここは!(若獅子寮は!)」



ただただ、

「押忍!」

極真           大山倍達総裁

***
「このシリーズ、あくまでも、
わたし石黒が第十九期生として内弟子修行した三年間当時の、
拙い記憶、日記、メモをもとに書かせて頂いております。

強烈猛烈な師匠への憧れ、 尊敬、
何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、同じお話をされる総裁。

その強烈なインパクトで今もって総裁のお言葉が頭に耳にこびり付いております。

その辺りを御理解して読んで頂けると非常に幸いであります。

内弟子諸先輩後輩の皆様方、また優秀な極真師範、先生、先輩、後輩の皆様方がおられる中、
誠に僭越では御座いますがあえて書かさせて頂いております、御理解の程をどうか宜しくお願い申し上げます。

いつも本当にお世話になりありがとうございます。

今後とも御指導御鞭撻の程を宜しくお願い致します。」

押忍

大山総裁との思い出 大山総裁との思い出 大山総裁との思い出