競技 型

競技 型

一昨日、極真祭、
全日本型競技部門35歳以上男子の部に出場させて頂きまして誠にありがとうございました。

私自身、今年4月の国際親善大会 型競技部門に続き2回目の「競技型」への挑戦となりました。

大山総裁が亡くなられて(1994年没)から、
時代の流れなどで型競技試合が極真会館に於いても行われる様になりました。

約20年以上にわたり型審判員として型競技、競技型指導に携わらせて頂きましたが、
まさか自分自身が型競技選手として出場させて頂く事となるとは夢にも思っておりませんでした。

(その過程は多くは語れませんが、
私が型競技試合に出場する直接の決意に至ったのは昨年師範代がお亡くなりになった事が最大の要因であります。)

実際に我が身で型競技試合に出場してみて初めて気付いた点、勉強させて頂いた点は本当に多いです、多過ぎます。

「よく、見るのとやるのでは大違い」
、とは言いますが正にその通りでありました。

先ず実感している事は、
競技、試合、大会となるとやはりそのルールに則した「勝ち方のセオリー」がある、ということです。

この事は型競技だけにとどまらず、組手競技に於いても当てはまる当然のことであるとは思いまが、、、

23歳で道場開設のチャンスをいただいてからはや26年、
四半世紀に渡り道場現場指導に携わらせて頂いているわけでありますが、
その間ずっと、
「競技と武道(ルール有りとルール無し)」
の矛盾点を追求してきている訳であります。

しかしながら、
一見すると矛盾する様に感じる「競技と武道(ルール有りとルール無し)」
も取り組み方、意識の持ち方如何によってはその矛盾点は互いに交わってくる訳であります。

大山総裁は常々、稽古中、また事あるごとに我々内弟子に理解しやすく、
「スポーツは楽しむもの、武道は己に厳しくするもの」
、と御指導をして下さりました。

どの分野でも「競技・試合・大会」に出場する限りは、
やはりルールに徹して「勝つこと」に拘る事は最重要課題であるとは思いますが、
武道精神、極真精神を捨ててまで「勝つことだけ」に徹する風潮には、私個人的には違和感を感じざるを得ません。

(お金に例えていえば、
どんな悪い事をしてでも「お金だけ」を儲ければ何をやっても良いという風潮と同じ違和感を感じるのです。

またこの違和感である、
「何をやってでも、勝つことだけ・お金を儲けることだけ」のゾーンに一旦入ってしまうと、
どんなアドバイスも聞き入れられなくなってしまうものだと私は経験上理解しております。
(私自身も経験値が浅く未熟な時代には全く同じ過ちをおかしてしまいました。
周りの方々からの「注意しろよ」という貴重なアドバイスを全く受け入れられずに大変な失敗に繋がってしまった経験があります。
今考えても恥ずかしさで汗顔の至りであります。
本当に本当に大変申し訳ございませんでした。)

日々の道場稽古でも、
武道精神、極真精神を捨ててでも競技試合に勝つ事だけに拘るな、という事だけは徹底して現場指導に徹しております。

(しかしながら私の力不足、指導不足で、全ての門下生の皆様に理解して頂くことは非常に難しく試行錯誤の日々を繰り返しております。)

私に出来る事は、
大山総裁、松井館長、極真古参の師範方に直接御指導いただいた、
いわゆる競技の空手ではなく、
極真武道空手をブレる事なく日々の道場で粛々と指導(稽古)していく事だけであります。

武道精神、極真精神をしっかりと身に付けた上で競技・試合・大会に挑み優勝という結果に導く。

大変難しく甘いのかもしれませんが、
「人間は理想に向かって生きていく事こそに最大の価値がある」ことなのだと、
自分自身を鼓舞して日々の稽古・指導に取り組んで参ります。

今後とも御指導の程を何卒宜しくお願い申し上げます。

上記記させていただいた事は、
あくまでも私の主観であり間違いも多々あるとは思いますがお許し頂けたら幸いです。

最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。

押忍                石黒康之

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